「空襲・戦災都市 青森」の碑
何気なく通り過ぎる
青森市役所の前にこの石碑が建っています。
立ち止まる方も少なくないこの石碑に次のようなことが綴られていました
…
以下碑文
青森市は、第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)
七月二八日夜半、米軍B二九爆撃機六二機の空襲を受け、
M七四焼夷弾八三〇〇〇発の投下により、市街地の約九〇パーセン
トを焼失し、一〇一八名もの尊い人命と財産を失いました。
また、同年七月一四・一五日と八月九・一〇日には、米軍
艦載機により、青函連絡船や県内の港湾施設、鉄道、飛行場など
が攻撃を受け、一七三名の人命が失われ、合計一一九一名もの
人々が犠牲になったと報告されていますが、大半の方々の氏名
は、いまだ明らかになっていません。
あの悲惨で残酷な空襲・戦災から六〇年を経て、青森市は、
廃墟から立ち上がった市民の努力により、みごとに復興しまし
た。
しかし、今は、当時の惨状を止めるものはなく、人々の記憶
からも薄れ、知らない世代が増え、風化しようとしています。
空襲・戦災から六〇年目に当たり、犠牲となられた方々の
ご冥福と平和を衷心より祈念し、青森市が戦災都市であることを
歴史に止め、語り継ぐため、焼失した県立病院の跡地(現・市役所)
に、この碑を建立いたしました。
以上
碑の存在もあまり知られていないですが
青森市のことを知る上では
忘れてはいけない記憶だと思いますので
いつか、青森市役所を訪れる機会があれば
立ち止まりこの石碑を見て頂きたいと思います。
街グルメin青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属」