「青森のリンゴの話」
“こんなに赤い、きれいな実は見た事ありません、先生なんというんですか?”
“リンゴです”
…
明治6年のクリスマスイブ弘前の東奥義塾の英語教師ジョン・イングと学生の会話です
今でこそ青森はリンゴ大国ですが当時、青森の大半の人はリンゴなど見た事もなかったそうです
ちなみにこのクリスマスの夜イング先生は生まれ故郷のアメリカ、ルイジアナから苗木を取り寄せてあげると生徒達と約束
次の年、10数本の苗木を取り寄せ
それを弘前の土地に植えたのでした
これが青森で初めてリンゴが栽培された最初と言われています。
また、その頃の政府は西洋種の果実や野菜を日本に栽培しようと動いていましたが
そんな中にリンゴもありました。
政府から配られたリンゴの苗木はたった30本これが明治8年の事で武士から農業に戻った帰農士族が栽培に打ち込みます
明治10年弘前にリンゴを1ヘクタール以上所有していた人がなんと11人だそうです。
たった3年の間にそれだけ普及していたみたいでいかに弘前地方の栽培熱が凄かったか伺えます
その後、青森リンゴは発展の一路を邁進して行きますが
明治22年病虫害の被害に見舞われそれが明治30年になると手がつけられないほどにまで深刻になります
青森同様に栽培に取り組んでいた宮城、山形はこの時栽培から撤退して行きます
一方青森ではリンゴの枝の切り方や、リンゴに紙袋をかけるなど努力に努力を重ねることによってついに猛威を振るった病虫害から青森リンゴを守ることに成功病虫害との闘いは十何年間もの長きにわたったそうです
現在、日本一を誇る青森リンゴですが気候風土が栽培に適した事もありますがかげに多くの方の努力があった事は忘れてはいけません
ちなみに青森りんごのはじまりは明治8年(1875年) 4月内務省勧業寮から 本県県庁にりんご苗木3本配付が最初とされています
記事参考/ふるさとの歴史 ・千葉寿夫(津軽書房)記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)