青森市飲食店

酸ヶ湯(すかゆ)のお話

「酸ヶ湯(すかゆ)のお話」

明治の頃は
人々は28kmを徒歩で登り
八甲田のなかの酸ヶ湯に行ったそうです

そんな酸ヶ湯は
有り余る温泉が湧き出て
いろんな湯が有り

近くにある
ふかし湯“まんじゅうふかし”は
子宝に恵まれない婦人が子供を授かるという信仰があり

金精様(こんせいさま) などと呼ばれ
男根の形をした大小無数の金精様がひしめきたって一大奇観だったそうです

金精神を祀った神社は全国各地にあり
古代の時代から世界各地にある考え方ですが
青森にもあったのは興味深いです

そんな金精様ですが
土地の人の話では警察があまりにもうるさくいうもんで
その後焼き払われたそうですが、
今から思うと貴重な民族信仰の資料でした
遡ると
酸ヶ湯は1684年に見つけられたそうです。
見つけた人は
横内村の狩人小山内さん

彼が獲物を追って
山に迷い込むと
もうもうと湯気をあげてる温泉を見つけ

みると怪我をした鹿がそこ浸かって
帰って村人に伝えたそうです

初めは鹿の湯が酢ケ湯、そして転じて酸ヶ湯となったそうです。

ここまでは
良く知られた話です

そんな昔からの酸ヶ湯ですが
江戸時代は酸ヶ湯は津軽藩湯奉行が管理
横内村の庄屋さんが代々管理を任され
粗末な苫小屋(とまごや)が建てられ
湯入り米をもらって湯治客を入湯させていた
と資料にあります

耳慣れない湯入り米ですが
米を引き換えに風呂に入っていたのか
良くわかりませんが
何れにせよ
入湯料を払い風呂に入っていたようです。

そんな酸ヶ湯に木造の客舎が建てられたのが
明治に入った1896年

当時は雪解けの春、
固雪の上を7里(約28km)の山道を登り
湯を楽しんだそうです。

酸ヶ湯までいくのは
青森市の荒川から金浜を経由する細い道

酸ヶ湯まで登る前は
荒川にあった宿屋で準備をして
遠いので朝3時頃に出発したんだとか

この為
荒川の当時の村長が
将来酸ヶ湯は観光地として将来脚光を浴びる
自腹で酸ヶ湯まで広い道路を作ると
村議会に提案しましたが
総スカン、みんなの反対で道路は建設されませんでした

のちに横内からの道路が昭和に入った1935年に
青森〜酸ヶ湯間にバスが通り整備されると
荒川村では村長の提案を受け入れていれば
酸ヶ湯に至る道が荒川からだったはずと悔やんだそうです。

バスが通るようになってからの
酸ヶ湯ですが

みるみるうちに発展
昭和29年
全国で1000以上もあるという温泉のなかで
3つしか選ばれない
国民温泉に指定を受けたことにより

十和田国立公園の価値も増し
全国的に有名になってきて
併せて知名度も上がって集客力も増していったそうです。

近年では
意外なところで酸ヶ湯の名が知られるようになりました。

毎年冬になると
ニュースで報じられる全国の積雪量 で
常に上位を争っているのが酸ヶ湯
青森の新名物という方もいるようです。

資料/青森の歴史(青森市)

街グルメin青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

すずきりほ【わやわや】

すずきりほ【わやわや】

青森市のカフェ・居酒屋・BARわやわやの副代表すずきです!青森市の古川グルメ商店街副会長!

おすすめ