『双子都市、青森市と函館市の赤い糸の絆』
江戸の藩政時代には北海道にいくのは
三厩からだったそうです。
当時、北海道は蝦夷地と呼ばれていて
幕末あたりになると
黒船と呼ばれた外国船が
蝦夷地、津軽、下北半島の沖合いに
現れる事もしばしばだったそうです
そこで
幕府は、津軽藩、そして南部藩に
蝦夷地の警備を命じ
函館に直轄の奉行を置いたそうです。
それからというもの
幕府や藩の役人さんや、
いろんなお侍さんが
函館と本州を行き来する事が多くなって行ったそうです
そうなってくると
三厩だと時間もかかる
幕府は代わりに
青森そして佐井(下北)の2つの湊を函館に行く湊に指定しました
少しでも江戸と函館の旅程を短くしようとするのは
それだけ幕末が慌ただしかったからなんでしょう
そして、指定された青森湊から
大勢の人が北海道に渡っていったようです
時代も明治になると
さらに多くの人が北海道に渡っていきます。
広大な未開の原野、豊富な石炭などの資源、
そして魚もたくさんとれると
明治政府が開発に力を入れて
維新改革で仕事がなくなったお侍さんに
屯田兵という制度を設けると
青森の湊を利用する人が増え
青森の湊は時代の脚光を浴びて益々大きく動き出していったそうです。
青森の街もこの
北海道との繋がるという地理的なものが
なければその後の発展、その他もろもろは無かったように思います。
そんな青森と函館は
青函トンネル開業1年後の平成元年3月13日に
「ツインシティ(双子都市)」の盟約を締結しています
青森のアスパムの海手には
赤い糸のモニュメントというのがありますが
この記念碑は
青森と函館のつながりを記念しているそうです
『赤い糸のモニュメント』
アスパムに隣接する海を臨む公園に
このオブジェはひっそりたっています
その名も“赤い糸のモニュメント”
子供達の足に赤い糸が巻きつけてあるオブジェ
実はこのオブジェ
旧制中学時代を青森市で過ごした太宰治が
小説「思ひ出」の中で、
弟と青森港桟橋から海峡を渡る連絡船を眺めながら
運命の女性と結ばれる“赤い絲”について語り合った挿話を基に、
両市の大学生や高校生などの協力により、お互いの絆を深めるモニュメントとして、両港にそれぞれ設置したもの
小指の赤い糸の伝説は聞いたこともありますが
足が赤い糸で繋がっているんです
青函連絡船は廃止になりましたが
青森と函館は運命の赤い糸で繋がっている
そんなメッセージなんですね
ところで
太宰治『思ひ出』/1933年(抜粋)です
秋の初めの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い絲について語り合つた。それはいつか学校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとえ往来で逢つても、この絲はこんぐらかることはない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。~~
双子都市
青森、函館、両市が協力して今後経済的にも発展して行く事を願います
街グルメ青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)
記事参考:書籍・青森市の歴史(青森市史編纂委員会)