「昔、函館でも“ねぶた”が行われていました」
青森の祭りといえば“ねぷた”“ねぶた”です
青森県内にはいろんな“ねぷた”“ねぶた”があることは良く知られていますが
実はねぷたは青森だけのものではなくて
北海道の函館でも
かなり大規模なねぶたが行なわれていたんだそうです。
時は遡る江戸時代末期
1855年
国際貿易港となって間も無く
弘前の文人平尾魯仙(ひらおろせん・1808年生)が
松前から函館の旅を記した
「松前紀行」にその様子を伝えています。
それによると
函館のねぶたは一年おきの七夕の大行事が行なわれ
その催しの際に出
ねぶたは大小様々とあります
又、函館にも『函館風俗書』という資料が残され
これにも詳しく書かれているそうです。
内容を要約しますと
やはり、混雑、喧騒、投打等あり
かなり荒れていた様子です
青森のねぷた、ねぶたもかなり喧騒伴うものだったのと同様、荒々しい感じだったようです。
ねぶたの由来を調べてみると
七夕などに出くわしますが
元来その原型は東北その他にも広く残されているそうで
函館のねぶたを行なわれたという記録は実に貴重な記録のようです
さて、何故
函館のねぶたが無くなったのかというと、
明治になって五節句が廃止されたことによるようです。
五節句と言うと
ルーツは、中国の唐時代
江戸時代に幕府が制定した五つの節日(せつにち)
五つの節句をあげると
人日(じんじつ) 1月7日 … 七草の節供
上巳(じょうし) 3月3日 … 桃の節供
端午(たんご) 5月5日 … 菖蒲の節供
七夕(たなばた) 7月7日 … 笹の節供
重陽(ちょうよう) 9月9日 … 菊の節供
※元日(元三・1月1日)を五節句に入れる説もあるものの年始として別格の扱いに。
以上のようになって
節とは折り目,供は供物をあらわし
五節句にはそれぞれ飲食物を供し
植物などで邪気を祓うという習俗を行うことによって
無病息災を祈り特別な意味合いが込めていたんだそうです
ちなみに「節日」とは
奇数を重ねた月日に定められていますが、
それは中国において奇数を重ねた月日に陽が極まると陰が生じる日と考えられていたことから、邪気を祓う行事が行なわれたことに由来します
話がそれましたが
この五節句が合理的な理由から明治6(1873)年に廃止、陰暦から陽暦への改暦、それに伴い民衆の年中行事も次第に根付いたものでも
残るものと消えるものとに分かれて行きました。
函館というところは何しろ当時は開港間も無くなので
新しいものを取り入れて行こうという気風も強く
他地域で根強く残ったものも、その気風故に消滅してしまったんだとか
しかし、函館には
今も子供たちがローソクをもらって歩く七夕行事が残っており、いまもかすかながら名残を残しているようです。
参考文献として青函文化史:須藤隆仙著を内容を元に作成、一部抜粋、写真1枚を転載しました。興味のある方は県内の図書館で閲覧下さい
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)